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阪神大震災の記憶

冷たい風の中で「都構想」の問題点訴えると多くの皆さんが暖かい声をかけてくださいました。
死者6434人、家屋全半壊約47万世帯という甚大な被害となった阪神大震災から20年、今なお被災者の困難が続いていると言われています。
あの日も寒い日でした。朝、夫が赤旗配達にでたのでウトウトしていた時に突然大きな揺れがきました。子ども二人に布団を掛けて抱きしめ揺れがおさまるのを待ちました。屋根が落ちたらもうだめかー!と思いましたが何とか助かりました。後でこの直下型地震の揺れの長さは20秒ぐらいと聞きましたがずいぶん長く感じました。朝食と子供のおべんとうを作って7時に家を出ました。その年は地方選挙の年でした。私は二回目の挑戦でバス停宣伝のため自転車で鶴町に行きました。埋め立て地域の鶴町に入ると地割れが起こっていて、私の握りこぶしがスッポリ入る幅でした。家が傾き、液状化、ガス管や水道管の破裂で大変なことになっていました。いったん帰宅すると今度は近くでガス爆発による火事で民家が数件焼けました。それから当時の矢達幸市会議員と大阪ガスにガスボンベの交渉に行ったり液状化の地域を調べたり、募金や避難物資の手伝いなど続いたことを思い出します。97年に府議会議員にさせて頂いて依頼震災に強い街づくりは私の大きなテーマです。

 

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